インタビュー

隈病院は長年大学病院で勤めていた自分がまだ“新しい何か”を学べる場所

外科医としてキャリアをスタートし、消化器・乳腺・内分泌領域の手技を経験

私は1987年に大阪市立大学を卒業後、そのまま同大学の旧第1外科に入り、外科領域全般の研修を受けました。研修終了後は大学院に進学し、アメリカのカリフォルニア大学に留学してオンコロジー(腫瘍(しゅよう)学)の研究を続けながら、大阪市立大学の関連病院で臨床を学び、さまざまな経験をさせていただきました。留学期間を除けば、18歳のときに出身地の明石を離れてから隈病院に入職する2020年4月までのおよそ40年間、大阪の地で勉強や仕事をしてきたことになります。
大学の外科は、消化器・乳腺・内分泌領域を中心に診療していましたが、私は消化器外科医としてのキャリアが長く、研究テーマも胃がんや大腸がんなどの消化器がん領域が中心でした。

長期間1人の患者さんを診続ける甲状腺診療の魅力

甲状腺疾患をはじめとする内分泌分野には学生時代から強い興味を持っており、ある日、恩師の平川 弘聖(ひらかわ こうせい)教授(当時)から「乳腺・内分泌をもっと勉強してみなさい」と指示をいただいたことがきっかけで、乳腺・内分泌外科、特に甲状腺を専門的に診療することになりました。旧第1外科には甲状腺を専門に診療している先輩医師がいらっしゃって、患者さんを引き継ぐ形で、内分泌疾患分野を専門に診始めました。
 
甲状腺診療の面白さは、術後も長期間にわたり経過観察を行う患者さんがたくさんいることです。消化器がんと異なり、甲状腺がんは生存率がとても高く、再発しても手術で治療させていただく方が多いので、数十年単位の長期間にわたって外科医が患者さんと関わり続けます。だからこそ、病気のこともそれ以外のこともたくさん会話をして深い関係性を築き、お互いに同じ方向を向いて治療することができます。そのような診療スタイルは、手術時の診療に特化している近年の外科診療とは大きく違う点で、特殊な疾患領域であると感じています。

40年近く在籍した母校から隈病院に移った2つのきっかけ

研究の実績を評価され病院から誘いを受けた

隈病院に入職した第1の理由は、院長の宮内 昭(みやうち あきら)先生にお誘いを受けたことです。隈病院は世界的にも非常に有名な甲状腺専門病院の1つですから、お誘いいただけて非常に嬉しかったことを今でもよく覚えています。
以前から、私は隈病院でも行っているような未分化がんの研究や、体中に転移して通常の治療では治らない患者さんへの対策法の研究を行っていたので、その取り組みが宮内先生の目に留まったのかもしれません。
もともと宮内先生ご自身が大変アカデミックなお考えをお持ちの先生で、外科医として手術を行われている一方で単に“手術をして治ればそれでよい”とは微塵も思っていらっしゃらないように感じます。むしろ、手術をしなくてもよい患者さんを見極め、個々の患者さんに応じた最良の治療法は何かということを常に考えていらっしゃいます。私にとって宮内先生は甲状腺診療の大先輩の1人であり、偉大な目標です。

乳腺診療が主な大学で内分泌外科を続けることに疑問を抱いた

もう1つ、大学から隈病院に移ることを決めた理由があります。
隈病院からお誘いを受けた2018年当時、私は大学の内分泌外科の全領域を統括し、たくさんの手術をしていたので、すぐに大学内の仕事を投げ出すわけにはいきませんでした。その頃はちょうど内分泌外科への道を示してくださった教授も退職され、教室自体も第1外科から臓器別の診療科へと分かれてしまっていた時期でもありました。しばらくの猶予期間をいただき、2年後に隈病院に移りました。
新しくなった教室は“乳腺・内分泌外科”となりました。入局者は、乳腺診療に関わることを望む医師ばかりで、甲状腺診療のノウハウを伝えていく若手医師がいない状況でした。乳がん患者さんの数は増え続ける反面、内分泌外科の領域は小さくなり、“このまま大学の外科の中で内分泌外科講座を続けていく意義はあるのだろうか”と思えてきたのです。私がずっとこの教室に居続けるよりは、1人でも多くの乳腺外科医を育てるほうが、大学・患者さん双方のニーズを満たすのではないか――。そう考えて、大学を離れる決意をしました。

知識と経験が豊富で研究に貪欲な同僚たちに刺激をもらえる

お誘いを受けたときは、例えるならば日本のプロ野球球団に所属していた中堅選手が、突然メジャーリーグの球団からスカウトされたような感覚でしたから、最初は“私が入れるような隙間があるのか”“邪魔者扱いされるだけではないか”と、不安な気持ちもありました。それは杞憂で、すべての方々が非常に温かく迎えてくれたので、本当にありがたかったです。
隈病院の先生方はみんな、いつも甲状腺のことばかり考えているような“甲状腺マニア”ばかりで、とても熱心に甲状腺の研究と診療に取り組んでいますし、それだけの知識、技術と経験を持っています。手術・診療の場でのアドバイスや、周りの先生方が研究されている内容をヒントに、誰でも日々新しい知識を簡単に得られる環境が整っています。大学勤務時代は、甲状腺の専門的治療についてはほとんど独学で、誰かに新たな手技や診療のコツを教えていただく機会は少なかったので、隈病院に来てからは毎日新鮮な刺激に溢れた日々を楽しみながら診療できています。

診療本部長としての役割――調整役として、若手医師の指導役として

私は診療本部長として、患者さんに関わる全ての診療科・職種間の仲を取り持ち、チーム全体が上手く連携して機能するように調整する役割を担っています。ただ外科医として手術をするだけではなく、隈病院全体を見渡しながらすべての職種と関わり、仕事を行うという役割を果たすように任命されたのだと理解しています。
 
若手の先生方の指導も重要な仕事です。“隈病院での甲状腺診療・研究は楽しい”と思ってもらえることが一番重要だと考えています。楽しいと感じられなければ、どんなに画期的な診療も優れた研究も苦痛に思えて、先に進まないことをこれまで幾度か見てきました。一方で診療・研究が楽しいことだと感じられれば、多少の困難があっても乗り越えて成し遂げ、喜びあい、成長し続けられると信じています。課題解決の楽しみを実感していただくためにも、個性を尊重しながらひとつひとつ具体的な課題をクリアしてもらうという体制を築いていきたいと思っています。

これからの目標――病態の本質を解明したい

最近考えているのは、これまで自分自身が取り組んできた研究には、隈病院が今まで行ってきた研究や診療実績に追加していける何かがあるのではないかということです。具体的には、“病態が発生する根幹、すなわち病気の本質は何か”という観点から、甲状腺疾患を追究したいと考えています。
それが難しいテーマであることは分かっていますし、長い時間をかけて取り組まなければならない仕事だと覚悟しています。私はこれからも隈病院のメジャーリーガーの皆さんに刺激をもらいながら、精一杯甲状腺疾患の研究に取り組み続けたいと思っています。
 

このインタビューのドクター

外科

診療本部 本部長、治験臨床試験管理科 科長
小野田 尚佳医師

大阪市立大学医学部を卒業後、同大学旧第一外科学教室に入局。外科研修を修了し、消化器外科としてのキャリアをスタートさせる。その後同大学大学院に進学し、食道静脈瘤や胃がんなどの消化器疾患等に関する研究を行う。カリフォルニア大学 サンディエゴ校への留学を経て1997年に大阪市立大学に戻ったのち、専門分野を内分泌外科(甲状腺外科)に移し、甲状腺診療のグループ長として臨床及び研究に力を注ぐ。2018年3月からは同大学乳腺・内分泌外科病院教授を務めていたが、より甲状腺外科診療の需要が高い場所で患者さんの力になりたいと考え、誘いを受ける形で2020年4月に隈病院 外科に入職。入職後は、診療本部本部長として診療チーム全体の指導やまとめ役を担っている。2024年に隈病院 治験臨床試験検査科 科長を兼任。

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