インタビュー

世界で通用する病理医になりたい

世界のどこでも生きていける職業と知識を得るために

私は台湾の高雄市で生まれ、幼い頃に両親と一緒に南米のアルゼンチンに移住し、中学、高校、ブエノスアイレス大学の医学部を卒業しました。医学部を選んだのは、両親の期待もあったのですが、世界に通用する職業につきたい、そしてそのための知識を身につけたいと思ったからです。

国内外での病理研修を経て甲状腺病理の道へ

ブエノスアイレス大学医学部在学中、日本には国費外国人留学生制度があることを知り、大学卒業後に日本へ渡りました。そして、徳島大学医学研究科 第一病理学講座に入学し、故 佐野 壽昭(さの としあき)先生のご指導の下、神経内分泌腫瘍の研究をしながら病理診断の勉強を始めました。
病理を選択した理由は、基礎研究と臨床業務を両立できると思ったからです。将来、どのようなことがあっても生きていくために基礎研究と臨床の技術を両方身につけたいと考えている私にとって、病理はぴったりの分野でした。
学位取得後、台湾のTaipei Veterans General Hospitalで病理研修を終了した後は家族の希望もあり、日本の医師免許を取得。そのまま妻の出身地である香川県の高松平和病院にて臨床研修を終え、香川大学医学部附属病院 病理部の助教に就任しました。
助教時代、海外の学会発表にて、現・隈病院 病理診断科 科長である廣川 満良(ひろかわ みつよし)先生に「隈病院に来ないか」と声を掛けられたことがきっかけで、甲状腺病理を志しました。ただし、隈病院に入職するには専門医の資格を取ることが条件でした。そのため、まずは病理専門医(日本病理学会認定)、細胞診専門医(日本臨床細胞学会認定)の資格を取得し、いくつか国内外の別の病院での勤務を経て、2016年に隈病院に就職しました。2020年現在、甲状腺・副甲状腺の病理を中心に臨床・研究活動を行っています。

隈病院で得られたもの、これから取り組みたいこと

仲間同士でのコミュニケーションから新しい知識を得られる

隈病院では、病理医と臨床医が互いに連携を取りながら診療を行っています。臨床医であっても病理の知識に精通している方が多く、カンファレンスの場で臨床医の先生方からさまざまなご指摘をいただくこともあります。そのため、毎日カンファレンスに参加しているだけでも新しい知識を身につけることができます。
また、隈病院は大病院に比べると総スタッフ数が少ないので、事務スタッフやコメディカルも含めスタッフ同士がお互い顔見知りとなり、会話をする機会がたくさんあります。周りの方々と日々コミュニケーションを取るなかで、専門知識から一般業務、人生観に至るまでのことを幅広く教えていただきました。日本語を話すチャンスも増えたため、日本語や日本文化も甲状腺病理と並行して学ばせていただいています。
さらに、入職してからは病理医による細胞診外来や海外での学会発表、海外から来る客員研究者・病理医との交流なども経験しました。それら一つひとつの経験が、私の医師としての知識や視野を広げてくれています。

甲状腺病理診断の面白さとやりがい

甲状腺病理は病理診断においてもっとも難しいといわれる分野の1つで、国、施設、病理医によっても診断基準や判定などが大きく異なります。それゆえに挑戦のしがいがあります。

世界で通用する病理医を目指して

国内外の病理部を経験して感じたギャップ

隈病院に入職するまでに勤務した病院は、国内外問わず大規模な総合病院がほとんどであったため、全身疾患や病理解剖学の基礎を築くうえで必要なものを学ぶことができました。
海外の病理部では世界基準のWHO分類に従い、病理診断は全て英語で行われています。また、臓器別の分業が徹底しており、専門分野以外のことには必要以上の知識は詳しく知りません。たとえば甲状腺病理専門の医師であれば消化器病理について詳しくは知らない、といった具合です。さらに、病理を担うスタッフの数も桁違いです。
これに対して日本国内の病理診断は日本の“癌取扱い規約” に準拠して行われており、報告書は日本語で書かれます。海外とは異なり、人数の少ないなかであらゆる臓器の高い水準の病理診断を行っていることも特徴です。
 

将来はさらに活発な海外への情報発信や交流活動を

私はまだまだ学ぶべきことが多く、廣川先生の指導を受けながら一歩ずつ前進しています。日本に来てからは隈病院 院長の宮内 昭(みやうち あきら)先生や、廣川先生をはじめ本当に多くの方にお世話になっていますが、なかでも廣川先生は特別な存在で、私を甲状腺病理の世界へと導いてくれた運命の人だと思っています。もしもあのとき学会の場で廣川先生からお誘いを受けなければ、甲状腺病理に進もうとすら思わなかったかもしれませんから。
まずは、そんな恩人の廣川先生に追いつくことを目標にしたいと思っています。また、現在も国際的な活動には従事していますが、将来はよりいっそう、これまで培ってきた海外の人脈を活用し、共同研究や学術交流などの場で隈病院における病理診断について発信していきたいと思っています。また、定期的に病理診断科のメンバー全員とディスカッションを行い、教育症例や最新の知見を共有するとともに他機関との交流をより活発に進めていきたいです。
 
病理医としてのこの先の目標は以下の2つです。

1、世界で通用する病理医になること
日本では臨床に比べて病理はマイナーな領域かもしれませんが、台湾やカナダなど海外では非常に人気が高いうえ、将来のAI技術の発展などを鑑みると病理学は非常に有望な領域でもあると思っています。病理における肉眼所見に基づいたサンプリングや細胞診は人の手でなければできない作業であり、AIが交代することは難しいと思います。今後どれほどAIが発展したとしても、病理はなくならないはずです。その意味でも、若手医師が病理を学ぶ意義は大きいと思っています。
 
2、患者さんとそのご家族の気持ちをよく理解し、臨床医との緊密な連携で最善の治療提供に努めること
個人的な話になりますが、昔自分の子どもが難病の疑いで長期入院し、膵頭部(すいとうぶ)・胃・十二指腸・胆嚢(たんのう)を切除する大手術を受けました。当初は膵臓全摘が予定されていましたが、内分泌病理の視点から見るとどうしても違和感を抱く部分がありました。そのため、術前に主治医と術式の相談をさせていただいたうえで、術後は病理標本の切り出し、病理診断を自ら担当しました。その甲斐もあり、今ではすっかり子どもは元気です。
病理医は一般的に“doctors of doctors”といわれますが、自分の家族の病理診断を経験することで、治療前に患者さんとご家族がどれほど不安になるのかを肌で感じることができました。また、病理診断の結果が患者さんの治療方針や術後のケアにどれだけ影響を与えるかも実感しました。だからこそ、病理医であることをとても誇りに思い、やりがいを感じています。

国内にとどまらず幅広い人種や出身国の方々と交流を

最後に私から若手医師の皆さんにお伝えしたいのが、留学の重要性です。もちろん、日本国内だけでも勉強はできますから、留学せずとも専門知識を十分身につけることは可能です。しかし、海外から日本がどのように見られているかを知り、人種や出身国の異なる仲間や患者さんとどのようにコミュニケーションを取るのかについて理解するには、留学による経験が大きく生きてくるでしょう。そういった面を理解するためにも積極的に留学を経験してほしいと思います。

このインタビューのドクター

病理
診断科

病理診断科 医長
林 俊哲医師

台湾出身、母国、アルゼンチン、アメリカ、日本を含めて合計4カ国の医師免許を所有する病理診断医。アルゼンチン国立ブエノスアイレス大学医学部医学科を卒業後、国費留学生として日本に渡り病理診断の道を志す。その後国内外の大学病院や一般病院勤務を経て、2016年より隈病院 病理診断科。これまで培ってきた世界各国の人脈を活用し、共同研究や学術交流などにも積極的に取り組んでいる。“世界で通用する病理医”になることを目指して日々研究と臨床に力を尽くす。

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