インタビュー

患者さんが病気に正面から向き合える医療を――地元和歌山を離れ再び甲状腺の道へ

期せずして担当した甲状腺超音波検査が医師としての転機に

和歌山県に生まれ和歌山県で育ち、和歌山県立医科大学で学びました。卒業後すぐに同大学院に進んで糖尿病の神経障害を中心に研究し、大学病院では主に糖尿病診療を行っていました。
医師3年目に突然、人事の関係で甲状腺の超音波検査を担当することになりました。指導してくださったのは東京の病院で甲状腺を勉強された先生でした。甲状腺診療についてほとんど知らなかったため手探りではありましたが、その先生の熱心な指導のおかげで甲状腺の超音波検査の面白さに目覚め、「もっと勉強したい」と思うようになりました。

赤水先生がつないでくれた隈病院との縁

甲状腺の超音波検査の指導をしてくださった先生に「本格的に甲状腺を学びたいのなら、関西だったら隈病院があるよ」と教えていただき、隈病院のことを知りました。ぜひ本格的に勉強してみたいと思い、当時の教授に国内留学の希望を出しましたが、その頃は糖尿病治療を中心にしていたこともありすぐに隈病院に行くことはかなわずに、いったんは保留という形になりました。
数年後、赤水 尚史先生(現・隈病院 院長)が和歌山県立医科大学 教授に就任されました。赤水先生のご専門が甲状腺でしたからこのタイミングでもう一度国内留学を希望してみようと思いお願いしたところ、医局からの派遣という形で隈病院に2年間在籍させていただけることになりました。

不安を払拭してくれた先輩医師たちのフォロー体制

和歌山県立医科大学附属病院時代は甲状腺診療といえば超音波検査が中心だったので、甲状腺を専門とする病院に単身放り込まれて付いていけるのか正直不安でした。また、大学病院ではほかの診療科の先生や先輩医師にアドバイスを伺うのもなかなか難しかったので、隈病院では先輩方に相談できる環境だろうかという心配もありました。
しかし実際入職してみると、予想とは違いとてもアットホームな雰囲気で、不安も杞憂に終わりました。当時内科のトップだった窪田 純久先生、現在の内科のトップの伊藤 充先生、西原 永潤先生をはじめとする諸先生方から2年間本当に手取り足取り教えていただきました。外来で1人診療するたびに伊藤先生と窪田先生の外来とを行き来しては、「先生、これはどうするんですか」と聞きにいっていましたが、外来診療を中断させる私に皆さん嫌な顔ひとつせずアドバイスしてくださったのを今でもよく思い出します。
このほか、外科も内科も一丸となって診療に取り組んでいるのもとても印象的でした。内科、外科、病理の先生を含めた全体でのカンファレンスが当たり前のように行われていて、これが甲状腺を専門とする病院なのだなと感じました。

隈病院だからこそ学べたこと、経験できたことがある

甲状腺内科医としての大きな飛躍を遂げた最初の入職時

一度目の入職当時、「甲状腺診療に関しては大学病院に10年いるよりも経験を積めるよ」と多くの先生方から言われましたが、まさにそのとおりでした。たとえば、甲状腺の触診については、1か月半ほどで基礎的な部分を身に付けることができたように感じています。
先輩方から手取り足取り教えていただきながらですから、極端にたくさんの患者さんを診たわけではないと思うのですが、それでも新患の方の診察数だけで隈病院に入職するまでの経験を一気に超えたという実感がありました。1か月で100人規模の患者さんを診ることもあり、入職後1週間で数年間分の経験を得たといっても過言ではないほど、非常に濃密な時間を過ごせたと思います。

思いを新たに再び甲状腺診療の最前線へ

隈病院に2年間在籍した後は大学病院に戻り、再び一般内科中心に診療を行う日々が続きました。甲状腺診療にも携わりましたが、外来患者の絶対数が少なかったことや後進指導の役割を担ったこともあり、経験をあまり積むことができませんでした。また、県内の公立病院で地域医療にも従事しましたが、自分の専門や隈病院での経験を生かしきれないことへのもどかしさも感じていました。そのような折、教授を退官して隈病院院長に就任された赤水先生から直接声をかけていただき、隈病院に再入職することになりました。
現在は初心に帰ってリハビリをする気持ちで、全スタッフ一丸となって取り組む隈病院ならではの甲状腺診療に打ち込んでいます。
あれから10年が経ち先生方の顔触れも少し変わりましたが、隈病院ならではの和気あいあいとした雰囲気はまったく変わっていないと感じています。今でも分からないことがある場合はほかの先生方に聞きに行き、変わらず親切に教えていただいています。

甲状腺診療の醍醐味は患者さんからの感謝の言葉

甲状腺そのものはとても小さい臓器ですが、全身の機能のさまざまな分野に大きくかかわっているため、新しい発見が多く研究しがいがあると感じています。最初の入職のときに当時の隈病院院長で現在は名誉院長でいらっしゃる宮内 昭先生がおっしゃった「臨床は宝の山だよ」という言葉が今でも心に残っています。先生はそれぞれの患者さんのちょっとした違和感のようなものを非常に大事にされ、そういうところから新しい病気や症例をどんどん見つけておられました。先生のその姿勢をお手本に新しいことに取り組んでいきたいと常々考えています。
そして何より患者さんご自身が症状の改善を実感し、「楽になった」と喜ぶ様子を目の前で見ることができるのがとても嬉しいです。患者さんから感謝の言葉をいただくのは、これまで20年間医師をやってきていてもやはり毎回くすぐったくて心底気持ちいいですね。

甲状腺診療に取り組む医師としての目標

甲状腺疾患は治療の継続が必要な慢性疾患が中心ですが、ご自身の病気のことをよく理解していないがゆえに治療を中断してしまう患者さんが多いのが現状です。遠くから通院され、血液検査を受けたり、継続的に治療費を支払ったり、お薬も日々仕事のようにきちんと服用されているのに自分の病名さえ知らないという方が意外といらっしゃいます。6、7年間通院されている患者さんが「どうして通院しているのか分からない」とボソッと言われるのを聞いたときは本当にショックでした。
そういった理由で治療をやめてしまい、状態がかなり悪化してから通院を再開されるような患者さんをいかにして減らすか、ということを日々考えています。そのためにも、患者さんに「先生の今日の説明が一番よく分かった」とご自身の病気に対する理解を深めていただけるような医療を提供していくことが大きな目標です。患者さんが元気になるのは当然のこととして、さらにご自身の病気と正面から向き合い、健康な方とできるだけ変わらない生活で天寿を全うできるようお手伝いする、それが甲状腺診療に取り組む医師としての責任だと感じています。
また、甲状腺診療に興味を持つきっかけになった超音波検査をより究めていきたいとの思いもあります。赤水先生からも「超音波検査の専門性を高めないか」とのお声がけをいただいておりますので、超音波に関する業務や研究にも携われたらと考えています。
振り返ってみれば、学生時代に受けた甲状腺の講義がとても面白かったことを今でも覚えています。もしかしたらその頃から甲状腺診療とは縁があったのかもしれません。
隈病院に来るきっかけを作ってくださった宮内先生と赤水先生には本当に感謝しています。人生のほとんどを和歌山で過ごしてきた私の進む道を切り拓いてくださった、医師としても研究者としても心から尊敬できる両先生をはじめ、周囲の先輩方への感謝を忘れずに日々努力を続けていきたいです。

このインタビューのドクター

和歌山県立医科大学医学部を卒業後、同大学の内科学第一講座に入局。甲状腺の検査業務に携わったことをきっかけに、甲状腺診療に興味を持つ。赤水尚史先生(現当院院長)が教授に就任されたことが縁となり、2011年から2年間、隈病院で甲状腺疾患の診療経験を積んだ。その後、大学病院や和歌山県内の公立病院で、地域医療に従事。より専門的に甲状腺疾患診療に携わりたいと考え、2022年4月隈病院に再入職。

この記事をシェアする

  • TOP
  • インタビュー
  • 患者さんが病気に正面から向き合える医療を――地元和歌山を離れ再び甲状腺の道へ