インタビュー

「神戸から世界へ」を合言葉に-院長として、そして国際内分泌外科学会会長として

最初は非常勤の医師として隈病院へ

私は、大阪大学 医学部に進学後、主に消化器や乳腺・内分泌を扱う第二外科へ入局しました。当時の花形は心臓・循環器や呼吸器を扱う第一外科でしたが、先輩医師である高井新一郎先生との出会いがきっかけで、第二外科に惹かれるようになったのです。甲状腺や内分泌を専門とする高井先生のお話が、非常に理路整然としておりスマートだったことが決め手となりました。

麻酔科と外科で、それぞれ半年間の研修を行った後は、吹田(すいた)市民病院で2年間、一般外科の実地修練を積みました。そして1973年大阪大学第二外科に入局しましたが、当時は全くの無給医でしたので、いわゆるアルバイトとして隈病院に非常勤の医師としてやってきました。恩師である高井先生が、当時の隈病院の院長隈寛二(くまかんじ)先生と知り合いであったことが縁で、週1日隈病院で診療することになったのです。1981年に香川医科大学に赴任したあとも週に1度、飛行機などを乗り継ぎ神戸にやってきては、外来と手術に従事するような生活を約17年間にわたり継続しました。

次々と新たな取り組みを実現していく

隈病院で勤務をスタートしてからというもの、積極的に新たな取り組みを実現していきました。隈先生は、非常勤医師であった私の提案を真剣に聞いてくださり、必要だと判断したものは採用してくださったのです。

たとえば、現在、隈病院で行われている甲状腺の穿刺吸引(せんしきゅういん)細胞診の導入を、1980年に提案し、検鏡診断し始めたのも私です。結果的に甲状腺結節の診断技術は格段に向上し、超音波ガイド下の穿刺細胞診によってそれまで診断することができなかった小さな甲状腺がんも診断することができるようになりました。診断精度の向上は、一方では新たな問題を提起しました。当時、甲状腺微小がんでも手術による切除が行われていました。しかし、あまりにも数多くの微小がんが発見診断されるようになり、本当に手術を行うべきか疑問を抱くようになったのです。

「患者さんのために」という信念を貫き、新たな治療方針を採用

甲状腺とは無関係な病気で亡くなった人の剖検において、非常に高頻度に小さい甲状腺がん(その大部分は乳頭がん)が発見されること、超音波検査と超音波ガイド下細胞診による検診において日本人の成人女性の3.5%に小さい甲状腺がんが発見されること、これは当時報告されていた日本人女性の甲状腺がんの罹患率の1000倍以上であることから私は次のような仮説を立てました。

甲状腺微小がんの大部分は進行しない、経過を見て少し進行したら手術をすれば手遅れにはならない、全ての微小がんに手術をすることは益よりも害の方が大きいとの仮説です。このような考えから、1993年に隈病院の医局会に甲状腺微小がんに対して非手術経過観察を提案し、医師達の賛同のもとに、この臨床的取り組みが世界で初めて始まりました。何よりも「患者さんのために」という信念を持たれていた隈先生は、私の提案に積極的に賛同してくださいました。もし、当時の院長である隈先生が「そのような提案は手術が減る、病院の収入が減る、ダメだ」と言われたら、このような取り組みはあり得なかったのです。

その後の26年にわたる隈病院における研究によって、多くの甲状腺微小がんは進行せず、たとえ進行しても、その時点で手術を行えば手遅れになることはない、直ちに手術を行った群の方が非手術経過観察群よりも声帯麻痺などの不都合事象の頻度が高いこと、手術の方が経過観察よりも医療費が4.1倍高いことも明らかになりました。

隈病院が取り組みを始めた2年後の1995年には、癌研究会附属病院(現・がん研有明病院)の杉谷巌先生(現・日本医科大学内分泌外科教授)のグループも同様の取り組みを始めました。癌研究会附属病院での結果も隈病院での結果とほとんど同じでした。これら2つの施設での結果を踏まえ、2010年の日本内分泌外科学会の甲状腺腫瘍取扱いガイドラインにおいて世界で初めて低リスク甲状腺微小乳頭癌に対する非手術経過観察が承認され、さらに2015年アメリカ甲状腺学会の甲状腺腫瘍取扱いガイドラインでも取り上げられました。さらに2018年改訂の日本内分泌外科学会甲状腺腫瘍診療ガイドラインでは、より積極的にこの取扱い方が推奨されています。なお、「非手術経過観察」は欧米では「積極的経過観察, active surveillance」と呼ばれています。

レベルの高い治療をすべての患者さんへ均等に提供するために

香川医科大学で助教授を務めながら、非常勤医師として隈病院への勤務も続けていた頃のこと。隈先生に「隈病院の次の院長になってほしい」という打診を受けます。そして、数年後に院長となる予定で、1998年に副院長として隈病院に入職しました。

2001年に私を隈病院三代目の院長とするに当たって、隈先生が新たに隈病院の理念を掲げました。それは「1.甲状腺疾患中心の専門病院として最高の医療を均等に提供すること、2.甲状腺専門病院として社会的責任を果たすこと、3.診療において患者中心の全人的医療を目指すこと、4.職員が誇りを持って働ける病院を目指すこと」です。私は、これらの理念に強く共感しました。先代の院長が掲げた理念を実現するため、私の取り組みが始まりました。

副院長として入職して3年が経って院長となってからは、一方的に自分の方針を押し付けるのではなく、ひとつひとつ地道に体制を整備していきました。たとえば、すべての医師が安全で速く、レベルの高い手術を行うことができるような工夫をするよう努めました。ベテランの医師と若手の医師を組ませて、2人で手術をさせ、その組み合わせを定期的に変更するような体制を築いたり、術前カンファレンスにおいてすべての症例を提示し、どのような手術を行うのか徹底的に共有したりしました。隈病院の術前カンファレンスには、外科、内科、病理、麻酔科の全医師のみではなく、看護師、検査技師、放射線技師、薬剤師も自主的に参加します。これらの取り組みの結果、レベルの高い治療を均等に提供できるような体制が築かれるようになったと思っています。

情報発信も専門病院としての大切な役割である

私は、診療とともに、研究や論文発表にも力を注いできました。私の強みのひとつは「飽くなき探究心」であると思っています。たとえば、診療結果で少しでもおかしいと思うようなことがあれば放っておくことはありません。しつこく考え続け、検証を重ねるようにしてきました。思えば、私のこのような探究心が、下咽頭梨状窩瘻(かいんとうりじょうかろう)や甲状腺内胸腺腫などの新たな発見につながったのでしょう。

また、甲状腺専門病院として、世界中の患者さんのためにも、甲状腺の治療に従事する医師のためにも、専門的な知見を発信することは大切な役割であると考えています。そのため、院長に就任してからは、スタッフのアカデミックな活動を推奨し、研究の指導や学会参加費の支援など、さまざまなサポートを行ってきました。

このような体制の整備もあり、隈病院は研究の分野でも成果をあげるようになりました。たとえば、2015年、アメリカで開催された国際甲状腺会議で、Johns Hopkins大学のDavid Cooper教授が特別講演をされました。講演の中で発表された、最近10年間の施設別の甲状腺に関する論文数の報告。それによると、隈病院は世界で第3位ということでした。非常に驚くとともに、誇らしく思ったことを覚えています。

下咽頭梨状窩瘻:隈病院で発見された、下咽頭と甲状腺の間に通っている瘻孔(ろうこう)(細い管)を指す。

「神戸から世界へ」を合言葉に発信を続けていく

今でこそ、世界的な甲状腺専門病院として名高い隈病院ですが、「有名な病院をつくりあげること」を目指していたわけではありません。ただひたすら、最高の医療をすべての患者さんに均等に提供するよう努め、そして、得られた知見を発信するという地道な取り組みを続けてきただけのことです。隈夏樹理事長の協力を得ながら、診療や研究とともに、病院の体制づくりにも全力を注いできました。この積み重ねこそが、今日の隈病院をつくりあげたと信じています。

2019年、私は、これまでの実績が認められ、国際内分泌外科学会のプレジデント(会長)に就任させていただきました。非常に名誉なことであると思うとともに、身が引き締まるような思いがしました。これからも、世界中の患者さんのため、そして世界中の甲状腺疾患に取り組む医師のため、「神戸から世界へ」を合言葉に努力を続けていきます。

このインタビューのドクター

外科

院長
宮内 昭医師

甲状腺・副甲状腺疾患の診療・研究に40年以上携わってきたこの分野の第一人者。特に甲状腺がんの診断と治療を専門としている。甲状腺がんの手術にともなう反回神経麻痺に対する頸神経ワナ・反回神経吻合による再建を日本で最初に考案・施行した。また、急性化膿性甲状腺炎の原因となる一種の発生異常の咽頭の瘻孔の存在を世界で初めて発見し、下咽頭梨状窩瘻と名付けた。さらに、甲状腺下極にできる病理組織像が扁平上皮癌に似ているが予後がはるかに良い一群の腫瘍を一つの独立疾患であるとし、甲状腺内胸腺腫と命名し報告した。この腫瘍は、胸腺様分化を示す癌(CASTLE)と名称が変更され、その後、胸腺細胞由来であることが明らかとなり、最終的に2017年のWHOの組織分類では甲状腺内胸腺癌と呼ばれるようになった。一方、1993年に低リスクの甲状腺微小乳頭がんに対して、非手術経過観察を提唱。この成果は2010年の日本内分泌外科学会および2015年アメリカ甲状腺学会の甲状腺腫瘍取扱いガイドラインに取り上げられた。2012年にアジア内分泌外科学会のChairman(理事長)に就任。2019年には国際内分泌外科学会のPresidentに就任。

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