インタビュー

より効率的な医療を提供するための仕組みを考え、作り上げる

医師としてのあゆみ――教授と同じ専門である内分泌の道へ

学生時代は全学の柔道部に所属しており、当時、第3内科教授の千原 和夫(ちはら かずお)先生が医学部でありながら顧問をしていました。その御縁があり1996年の大学卒業後に同じ第3内科に入局しました。千原先生が内分泌、特に下垂体を専門にされていることから、私も内分泌の道に進むと思っていました。
大学での研修が終了後、2000年5月までは関連病院である淀川キリスト教病院に勤めました。淀川キリスト教病院の内科部門は当時から細分化されており、私は“内分泌・糖尿病・免疫・血液内科”に所属しました。そこでは、最終的に分類できないような症例も診療していましたので、さまざまな症例を診る機会に恵まれました。甲状腺に関しては、副作用による無顆粒球症、血管炎や膠原病、1型糖尿病の合併など対応が難しい症例を担当していました。また、糖尿病の教育入院にも携わっていたことから頸部の血管エコーも行っていたので、ついでに甲状腺超音波検査、細胞診もするようになりました。
2000年6月、神戸大学大学院 内分泌血液神経内科に入りましたが、病棟や研究では甲状腺疾患を扱うことはほとんどありませんでした。また、当時、神戸大学病院では甲状腺疾患に携わる医師が少なかったので、甲状腺の超音波検査や細胞診などを行うようになりました。在学中に、ちょうど病棟の建替えがあり、放射性ヨード内用療法のため治療室が作られたため、クリティカルパス作成やマニュアル作りなど立ち上げを手伝うようになりました。

医局を辞める相談をしたことがきっかけで隈病院へ

2005年、大学から隈病院に移ったことで、正式に甲状腺内科としてのキャリアをスタートしました。大学病院が自分には合っていないと感じ、卒業のタイミングで教授に医局を辞める相談をしたのがはじまりでした。その1週間後に「隈病院が建替えに伴い医師募集を行っているので、医局からということで行かないか」と声がかかり、隈病院に移ることが決まったのです。このときまでは、甲状腺を専門にしようとは思っていませんでしたので、入職時には甲状腺学会に入っていませんでした。私には“ある道に進み何かをする”という考えはなく、“どの道に進んでも、することはたくさんある“という考えでしたので、新しい環境下へ移ることに抵抗はありませんでした。
そのような形で、診察室・医局が広くなって職員を募集していたタイミングで入職しました。実際に入職してみて、安心して手術を任せられる外科医がいるのはもちろん、内科・外科の垣根がなく皆が同じ方向を向いて日々の診療に励んでいるため医師同士での意見調整がしやすいこと、甲状腺を専門とする病院であるだけに必要な症例がすぐに集められることなどさまざまな面で働きやすさを実感しました。

さまざまな取り組みの結果、診療情報管理科科長に

もともと手書きが苦手な私は、研修医時代からワードでサマリを書いており、独自に診療マニュアル、クリティカルパスなどを作っていました。また、淀川キリスト教病院に勤めていたときは糖尿病教育入院も担当しており、患者さんの情報をデータベースに入力し、そのままサマリに印刷できるような仕組みを作っていました。こうした技術は誰かに教えてもらったわけではなく、インターネットから知識を得て実践することを繰り返し、少しずつ習得していったのですが、独学で得た経験と知識は、隈病院における診療情報管理システムに対しても役立てることができました。
 

診療データウェアハウス(DWH)、Robotic Process Automation(RPA)を活用した診療効率化の仕組みを自ら作成

2005年に隈病院は病院の建替えと同時に電子カルテを導入しました。電子カルテ導入の主な目的は診療録をデータとして活用することと聞いていましたが、立ち上げには関与していません。入職当初は、立ち上げ時に用意されたシステムが使われていたので、実際に使ってみるといくつかの不都合がありました。たとえば、診察時のテンプレートが“甲状腺がん”、“バセドウ病”、“甲状腺機能低下症”などの疾患別になっていることです。実際の患者さんが、病名を言いながら診察室に入ってくるわけではないので、結局、診察の終了後に改めて入力し直すことが度々ありました。そこで、入職後から半年ほどかけて、初診用、再診用の共通テンプレートを作成し、現在もその形式が続いています。また、問診など必要項目を医師が入力するようにしていると入力されないことが多いため、問診票入力を業務委託するかわりに、看護師に問診内容を入力してもらう運用を構築し、確実にデータが入力されるようにしました。
 
2008年から診療データの利用を促進するためデータウェアハウス(DWH)が導入されましたが、担当者は導入決定を機に退職しました。その結果、利用者・管理者がいないDWHとなったため自由に使えるようになりました。まったく予備知識はありませんでしたが、インターネットで調べているとOpen Database Connectivity(ODBC)を利用すればワードやエクセルでも自由にデータが使えることを知りました。そこで、採血結果や、超音波や病理などの診断に必要な情報を紹介状の中に取り込み、結果から鑑別し、紹介状の下書きを自動で生成する仕組みを構築しました。さらに、医師の診察内容を1つのシートで俯瞰できるようにし、新人や非常勤医師の初診カルテをベテラン医師がチェックする体制もできるようになり、診療の質の向上につながっています。
近年の電子カルテは病院ごとのカスタマイズを受け付けないので、2012年より電子カルテ専用のRobotic Process Automation(RPA)を作成しています。現在は、外来診察時にボタン1つで患者さんの呼び込みから検査結果の印刷、近日中に行われた超音波・病理レポート、CT・レントゲン画像の表示、記載すべき診療カルテのテンプレートを開くまでの一連の流れが自動で行われます。医師の動作負担を軽減するとともに、検査結果の見逃しの防止に役立っています。
このような取り組みの結果、2018年から内科医長 兼 診療情報管理科科長として、2021年からは内科副科長兼 診療情報管理科アドバイザーとして臨床と情報管理の双方を担っています。

後輩医師への統計解析に関する指導も行う

日々の外来診療は内科科長としてほかの先生と同じペースで務めているため、臨床をフルでやりながら、診療情報管理科科長としての業務も並行して行っていることになります。臨床研究については自分自身が研究を進めるよりも、臨床研究を行っている先生方のサポートに回ることが多く、統計を引き受けたり、一緒に解析したりすることもあります。

これからの目標――考える方法の共有を

今後も診療の効率化と質の向上に貢献するシステムを作りたいと考案中です。具体的には“患者さんにとって最善の治療は何かを考える”ときの感覚を、ベテラン医師から若手医師まで同じように共有できるようなシステムを構築できれば、どの患者さんに対してもすみやかに適切な医療を提供できるようになるでしょう。たとえば、各症例に対してAIがベテラン医師の持つ知識とナレッジを自動検出し、そのナレッジが若手医師にも自動提案されるようなシステムが構築できればと考えています。
これからも診療効率化および質の向上に寄与するさまざまな仕組みを開発し、臨床や研究の場に還元することで、甲状腺医療の向上に貢献していけたら嬉しいです。

このインタビューのドクター

神戸大学医学部を卒業後、同大学附属病院および淀川キリスト教病院内科に勤め、2006年より神戸大学大学院にて内分泌領域へと専門を深める。2005年1月に隈病院に入職し、院内における診療情報管理機能の導入および改善を行い、院内診療情報管理システムを新しく構築した。2021年現在は内科副科長として臨床や後輩指導を担うとともに、システム管理の統括も行う。2022年1月に隈病院を退職。

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